2009年5月16日土曜日

カーシャ (★)

カーシャB
5月16日

トルストイの小説「戦争と平和」にも、「アンナ・カレーニナ」にも、ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」にもソバ粥という言葉が時々出てきて、どんな粥なのかと疑問に持ち始めたのは大学院生の頃だったろうか。その後、ロシア語をかじり始めて、粥はカーシャ(Ка́ша)らしいが、日本の粥とは少し違いそうにも感じられた。

その後、はじめて旧ユーゴ、今のスロベニアのリュブリアーナでソバ研究者の集まりがあった時にたずねてみた。作り方、食べ方を英語で説明してもらって、一寸分かりかけたところへ、多くの研究者の人垣が出来て、口々に話し始めた。私はまるで鉄砲の弾が飛び交う真ん中で蹲っている気分だった。機関銃やらピストルから、火縄銃やらが・・・

その会議は穀類全般を対象とするもので、ソバは会議の特別記念シンポジウムだった。だから、集まっている研究者はコムギ、ライムギもエンバクもと、対象は多様で、分野もさまざまであった。だから、ドイツ語系、英語系、フランス語系などの、いろいろの響きの言葉が入り乱れるのだろうということと、ヨーロッパの人々にとってカーシャは極めて親しい食べ物なのだろうと理解しただけで、私はただ唖然としたままだった。
その会の終わる頃、ソバだけの独立のグループを立ち上げようという話になり、国際ソバ研究者連合として成長を続けてきたが、その間に、私もヨーロッパの食べ方を少しづつ学んできた。

カーシャはロシア語が元だが、皮を剥いた穀物の粒なら何にでも用い、今ではそのロシア語が英語(Kasha)のように普通に用いられるようになった。コメもトウモロコシの粒も、コムギの粒もカーシャと書いて売っている。そして、穀物のうちでも主にソバを指すようになってきた言葉である。

カーシャは粒のまま料理したものにも用いる。製粉したものではない。

ところで、日本ではカーシャを粥と訳するうが、歩き回り、聞きまわってみると、粥といっても、「おもゆ」も、「硬い粥」もある。パラパラにまるで炒ったようなものも、ピラフ風に混ぜ物の入ったもの、お好み焼き風もパンもある。
さしずめコメの調理法の各種と言うところかも知れない。いや、これも一寸違うかもしれない。以前、日本では「イネ、コメ、メシ」と使い分けていて、稲作だったが、今は米作になったし、コメのパンは粉に挽くが、粉に挽いたソバのパンはカーシャには含まれない・・・・まー、いいか。料理の文化はややこしいのだから、このあたりでこの説明は小休止。

とにかく、かなりはっきりしているのは、カーシャの地域的な分布である。カーシャで食べるのは、ロシア、ウクライナ、ポーランドなどの北の地域で、粉にして食べるのはフランス以南である。
別の見方をすれば、コムギの栽培できないところで、エンバクならとれるところはカーシャで、コムギのとれるところは粉で食べる。

と、ごたごた書けば切がない。各駅列車はブログには適さない。
先回5月14日の「中国燕麦」で、★印をつけて、4行程度にまとめたのが上述だ。

エンバクのある中国に、ソバをむき身で食べる習慣はほとんどない。
そこで、中国のエンバクとヨーロッパのエンバクの違いが鍵になると思い始めた。
ヨーロッパのエンバクは皮付きで、製粉に適さない。燕麦栽培地帯では、皮付きで食べるオートミールのような調理法していたが、そこへソバが伝播してきて、ソバもその食べ方を見習った。
中国のエンバクは皮の無い裸エンバクだから、粉で食べる。そこへ伝播したソバも粉にする。
つづめて言えばそういうことなのだが、話はそれほど簡単ではない。

まるで「中国燕麦」の前段にも過ぎないのに、もう息切れ。
各駅停車では何時になっても終わらない。

論理的に書こうとすれば、個々の事例が失われそうだ。
一重に山姥の非力のせいだが・・

そろそろ寝言が始まりそうだ。  やばい!

メモ
またまた問題
ロシア文字がここではまだ使えない!

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