2009年5月12日火曜日

日本は何をしてきたのか(★)

日本のそばの原料が80%以上輸入に頼っているのは周知の事実であろう。今ではほとんどのといっても良いほど多くの食材が輸入依存型だから、ソバに限った話ではないともいえよう。しかし、その問題点を若干なりとも詳しく考えたことがあるのはソバだから・・と、一応考えておくこととしょう。

世界でソバを輸出している量は多くは無い。そのソバの大半を(?)買い続けてきたのが日本だから、極めて良いお得意さんだったことは間違いない。つまり、日本は手打ちソバで世界に貢献してきたと見えなくもない。だからソバに関係する人たちや企業から、日本はチャホヤされてきたのは当然の成り行きだろう。ソバ生産者達も潤ったのだから。

しかし、わたしは自分でソバを研究対象にするようになって、世界のソバ市場における圧倒的な日本の立場の統計表とその解説にさえ、輸出国の側の不満が底に見え隠れしているのか気がかりになってきた。

先ず私の皮膚感覚として海外のソバにかかわっている友人たちから受け取ってきた事例から示したい。
友人と書いたが、私はソバの商取引の上での知り合いではない。
1980年にスロベニアのリュブリアーナで、国際ソバ研究者連合を立ち上げたが、国際とはいえ極めて人数が少数だったから、お互いにソバ家族と呼び合っていた
その後家族の人数は増え参加国数も参加人数も増えて来たが、何やら親しく付き合い、気心が知れる関係にある。つまり、古いメンバーは元より、新しい人達ともそれらの人々あるいはその国が何を喜び、何を悲しんでいるのかが感じられる。

2001年春川で開催されたシンポで、次の2004の開催地を決める時、チェコとドイツ、オーストラリアが立候補した。その時には参加者の投票でチェコに決まったのだが、3年後チェコのプラハであった時、オーストラリアの代表者は、寂しそうな顔で、オーストラリアのソバは政府の援助もなくなったので、もう次が何処であっても、自分は会議にさえ出られないかも知れないと話していた。
詳しい話はこうである。
このオーストラリアにソバ栽培を薦めたのは日本である。夏になるとソバが品薄になり、香りも味も落ちてくる。赤道をはさんで反対側のオーストラリアやニュージーランドは、日本のソバが品薄になる夏に、新鮮で美味しいそばが供給できるから、栽培地として望ましいというわけである。
確かに、日本がそれに力を入れ始めてしばらくは、日本の国内でももてはやされ、かなりの価格で輸入していた。
しかし、遠距離を、しかも赤道を越えた運ぶのであるから、運送費が高価になり、変質の危険が高い。空輸する見本と、実際の仕入れた穀物の品質の違いが問題になってくる。結果、輸出価格は低下する。輸出の側は、品質保存の研究は元より、何とかして付加価値を上げようと加工工場の建設などに力を入れざるをえなくなる。
一方、日本の方はたとえ話を始めたのが日本の側だとしても、品質と価格を天秤にかけて、買い叩いたり、輸入量を減らしたりする。
そして、最初は力を入れていたオーストラリア政府も助成をしなくなる。

ここに記した話はオーストラリアに限ったはなしでもないし、ソバに限られる問題でもない。市場原理に従えば、起こって来て当然至極の事例である。

日本のソバの輸入をアメリカからカナダに乗り換え、中国に乗り換えてきたのが、より安いものを求めて行われてきた流れは、何も不思議ではないだろう。

そして、現地の国々のソバ栽培者も研究者もそれによって大きな被害を蒙っても、そんなものだと言ってしまえばそうだろう。

そして、ある時期には日本のお陰で豊かになった人々もいるのだから、とやかく言う必要はないと感じる人もいるだろう。

しかし、次には中国からの輸入の問題だろうと予感せずにはいられなかった。
友達のように感じる人々の悩む姿を見ながら、心痛む思いをしないではいられなかった。それは、統計を精査して予測する場合とは違う何かがあるのかもしれない。

いずれ後で詳しい話を、数値も加えながら述べたいと考えている。

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