2009年5月20日水曜日

自殖弱勢

5月20日


ソバの話題としての★印を付け忘れた訳ではない。

自殖弱勢はソバの低収量性の最大の要因の一つであり、長らく続けられてきたテーマの一つである。穀類の中では唯一の他殖性であるソバは、他の穀類に比較して収量が著しく低く、その受精の過程に及ぼす複雑な要因が、多くの研究者の関心を挽いてきたし、農家の気苦労の種であったのは確かである。
だから、何とかして自殖性のソバを得たいというのは長年の夢である。世界の育種研究者の最高峰とも言えるロシアのフェシェンコは、数種類の自殖性ソバの品種を育成し、その問題点を指摘して、すでに二十年以上も前に、その有効性・可能性疑問を呈していた。それにも拘らず、彼の息子の一人が自殖性の研究を続けることを支援している。おそらく遠い道のりだろう。

ここで取り上げたいのは、そんなソバの研究に携わってきた私が、最近の様々な社会現象に表れる日本の特徴を、この「自殖弱勢」の単語で表現したくなることがままあるからだ。
同じような現象に対して、アメリカ、ヨーロッパ、中国など、多くの国家の対応はもっと柔軟に見える。それらは何れも多民族国家か、他民族との接触が多い国々や地域である。

近年の安心安全の標語が、さらに日本の弱さに拍車を掛けているように思えてならない。
正解が一つであるような錯覚に陥り、努力の空回りを続けているのではないかと感じられる。そもそも、正解があるという前提自体がおかしいと、考えるのを許さない環境作りをやっているようにも。
考え方に幅を持たなければやっていけない多民族国家とは、日本は随分違うのではないだろうか。

日本が多民族国家になるほうが良いと言っている訳ではない。
身の回りの、あるいは自分の中の多様性を眺めていることで、次が開けるだろうと思えてくる。
勿論、これは自身に投げかけている言葉であるが・・・・・

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