2009年5月21日木曜日

徘徊老人

5月21日

今朝から四回も村の広報車が回り続けている。
村の老人ホームから行方が判らなくなった人の探索依頼である。
私とほぼ同年齢の男性だとか。
何を求めて歩き出したのだろう。
見付かったとき、笑顔で迎えてもらえるだろうか。

 父母が京都から私宅へ避暑に来ていたある日、職場へ母から電話が来た。散歩に出たまま帰ってこないと。 職場へは電話をしないことにしていたから、一寸驚いた。
 車で探し回ったが、見つからない。まだ日が高かったから、そのうちに帰ってくると思っていたのか、大いに心配していたのか、記憶にない。とにかく、しばらくして、二キロばかり離れた野菜の直販場まで迎えに来るようにと、知らない人からの電話が来た。
 父によると、自宅のすぐ横にお宮の林があるから、少し遠出をしても大丈夫と、どんどん坂道を上がって行った。ところが、上から見ると、同じように見える林が沢山あって、坂を上がったり降りたりしながらまわったけれど、探し当てられなくなったとのだそうだ。
 無責任で、その上に迷子の趣味のある私は、大笑いして、それでも「私が司会役をしていた会議中だったのよ。ほんまにー」と、一寸目を剥いて終わった。
 しかし母は、呆けた、呆けたと煩く言うから、診察してもらうことにした。先の日々を思うと、母としては当然である。
 検査結果は実年齢よりはるかに健康値だとのこと。酒とタバコ、コーヒーは大丈夫でしょうかと訊くと、「今更止めても、どこも良くなるわけはないですよ」と笑われて、本人はいたく喜んだ。 あの満足の笑顔は忘れられない。
 検査結果の数値は見を私は見なかった。患者の顔を観察しながら、この人はこのような表現をすると元気になると判断されたのは、さすがに名医と思った。
八十歳前後の話である。

 それから数年して、両親と父の姉の三人で掘り炬燵で世間話をしていた時、父はトイレから帰ってすぐにまたお猪口を持って、にこにこしながらポックリ旅立った。

 私自身は迷子になるのが好きである。
 あの慌てふためく一瞬が、何とも言えず面白い。
 しかし、後期高齢者になると、困ることが出てくる。
 先日もウイーンで迷子になった話を始めた途端に、呆けが始まったのかとばかり、同情の眼差しで見つめられ、自宅の周辺ではなくて・・・とは言いもならず、しょんぼりとして、話をそらせてしまった。

 山の貴方を求めるのは、年齢に関係がないのではないかと思う。
 もし私が徘徊をする時が来たら、迷子になったら、「傍迷惑だなー」と、笑ってお小言を頂戴したい。
必ず笑って、からかって欲しいと思う。

 老人ホームの方も、咎められたり、叱られたりするよりも「楽しかった?」と訊いてもらう方が、これから後の、出歩きたい衝動を抑えられるのではないだろうか?

 今はもう夜でも寒くはないから良いけれど・・・・

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