2009年5月28日木曜日

生物指標

5月27日

今日もまた、ソバの話題の印(★)を付けようか、思いつくままの無印にしょうかと迷っている。結論から言えば、これまで何の纏まりもなく彷徨っているような話題も、私の中では★の周りを彷徨っているからで、分類すること自体がナンセンスなのかも知れない。

ソババは、日本の社会に何かが起こると、これはソバの社会ではどうなるのだろうかと、ふと考える。何とも馬鹿馬鹿しい発想だが、ペットを飼っていられる方には一寸お分かり頂けるかも知れない。「犬に訊いてみよう」とか「猫ならなんと言うだろうか」と、ふと感じる類に似ている。

例えば、医学界の新発見があって、今日のネーチャーに載りますと、テレビで放送されると、その新発見の実験材料や個体数からの結果を、人間社会に適用しないで欲しいと、すぐに思ってしまう。
人間もソバも他殖性で、DNAは簡単、一生も短いソバでも随分個体変異があるのになー・・・・・  まー、言えばこの調子である。

大いに戯画的(?)な表現をしたが、生き物の生存環境を単に物理化学的な要素に分解して記載することには大きな疑問がある。人間についても勿論そうだ。表皮の外との関係も、中の器官どうしも、細胞と細胞の関係も含めて、そう言える。

計器が発達して、いかにも確かそうな数値が得られ、多くの項目についてそれが可能になってくると、上述したような話は、如何にも馬鹿馬鹿しく感じてしまうが、本当に馬鹿馬鹿しいで済ませられることだろうかと、時に疑いたくなる。
DNA犯人を決めるのは、最近の多くの犯罪検挙の決め手とされているが、日本より早くからその手法を取り入れてきたアメリカでは、それが冤罪に繋がった多くの事例が見つかっている。DNAの分析方法の変化による。計器は日進月歩である。

生態学的によく研究され、生息できる環境条件が限られていることが判明している生物の生息状況や変化などを参考にして、ある地域の環境の質などを類推・評価する指標生物を用いて研究をするのが好きだ。
もう一歩進んで、その指標生物を多く組み合わせて計る方法があればと、よく思う。下手に使うと何が何やらわからなくなる。

しかし、上に「もう一歩進んで・・・」と書いたが、狩猟民族や、昔の農民、漁民たちは、私たちが数値化にこだわる段階でお手あげになることを、日常的にやっていた。

おお!!

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