2009年6月12日金曜日

イタリアのフリウリ(★)

6月12日

「イタリアのフリウリ」
イタリアの次は「J」の付く国。勿論Japanである。
江戸に詳しい方なら「振り売り」と読まれて、イタリアのはずを日本の原稿下書きと間違ったのではないかと、一瞬首をお傾げになるのではないだろうか。私も入力しながら、カタカナ変換のつもりが漢字になって驚いた。
数日前から体調・脳調ともに低下中だから、やっぱり・・と、ハッとした。

ご安心ください。「フリウリ」は立派にイタリアの地名で、ユリウスのフォルム(集会場)から来た由緒ある名前である。場所はイタリア東北部のフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア特別自治州にある。などと書くとなんともややこしい。
長靴の国の長靴をを引き上げるときに持つあたりといえば良いだろうか。いや、さらにややこしい。
ベニスの一寸西北といえば一番ピンとくるだろうか?

イタリアの中部と南部は冬コムギと夏はコメがとれる。北部はトウモロコシの栽培が多いと、ごく簡単に図式化すると、イタリアのソバ栽培は北部である。ヨーロッパアルプスの南麓の寒村には広くソバが栽培されていて、ゲーテを感動させたのもそのあたりである。
今でもちらほらと栽培されている。

数年前、私が見に行って、伝統の料理ピッオケリオの実演を見たのは、北イタリアの中央部あたりのテグリオだが、そこの話に入る前に、ここフリウリに着目しているのにはそれなりの訳がある。

ピッオケリオはフリウリの伝統料理でもあるが、フリウリの方が古いような気がするからだ。
テグリオからさらに東の、イタリアとスイスにまたがるコモ湖の観光ホテルのシェフに、フリウリから蕎麦打ちの名人が出向いているとか。だから、「ピッオケリオは東進したのだ」などと、言うつもりはない。

ここから後は、ソバを求めて彷徨う場合の私の感の働かせ方の話である。
歴史的なことは、勿論図書資料によるが、その場合は小寒冷期といわれる時代の人口と農業改革あるいは耕地拡大を大枠にして、狙いをつけていく。
現代の話なら、地形と気候と、そこに住む人の歴史である。もう少し具体的に言えば・・

フリウリに狙いをつけているのは、フリウリ語(Furlan)はイタリア北東部のスロベニア、オーストリアと国境を接するるフリウリ地方で話されている言語で、言語学的に派インド・ヨーロッパ語族ロマンス派レト・ロマンス語群の属する言語だそうである。
50万人の話者を持ち、レト・ロマンス語群で最大を誇るが、スイスのロマンシュ語のような公用語の地位はどこの国においても獲得していない。
これが私のソバを追う姿勢であるが、実際には中々ややこしい。
戸惑いの数々は、追々白状していこう。

私の友人に、調理化学の専門家と食物学の専門家がいる。調理化学の専門のほうは、何を聞いてもスッキリと答えてくれる。ただし、何やら現実の問題とは少しかけ離れているように感じる。食物学の方は、料理の名前や料理方法を聞いてつまらないことにこだわり始めると、「はっきりしないのが料理というものだ」と、怒ってしまう。例えば粥と雑炊の区別のようなもので、そこまでが粥なのかはっきりしないような話だ。

世界のソバを訪ね歩くと、カーシャという言葉は今後も度々出てくるが、これがまたややこしい。

話を戻して、イタリアのソバ料理については次回あたりに述べることにするが、イタリアにはカーシャ風な食べ方、つまり粒あるいは引き割りで作る料理は無いのではないかと感じている。
しかし、リゾットがあるから、ソバのリゾット風、つまりソバ粥もあっても不思議ではない。

ブツブツ言いながら、月曜日には「J」の付く国、日本へ帰ろう。
土日はダッタンソバの予定だが、それで脳調・体調は回復できるかしら??

このところ、入力ミスのチェックもやりたくない気分。ダメだなー

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