2009年6月9日火曜日

フィンランド セリアック病とソバ(★)

6月9日

今日はFを頭文字に持つ国。
フランスのクレープを食べようと昨夜から期待しておいでだったかしら?
ごめんなさい。
今日はフィンランド、先日のエストニアの北の国からです。
フィンランドの現状を見て回る前に、5年前の夏祭りに来た時の状況をお話しておきましょう。

ルオベシはフィンランドの第二の都市タンペレから北へ約七十五キロ、森と湖の国の名にふさわしく網目状に広がる湾の一つに面して、ひっそりとたたずむ港町である。ノイタカラヤット(魔女裁判)という祭りを見に出かけた。ソバの栽培面積が日本一の町、北海道の北端近い幌加内町の人たちが、そば打ちの実演に招待されていたので、私は応援かたがたの見物である。

ノイタカラヤットも、北欧の各地で夏至の前後に行われる夏祭りの一つである。いかにも農村の祭りらしく、地元の野菜の他に、衣類、台所用品、子供たちの喜びそうな菓子や食べ物の露店が並んで賑わっていたが、その中で幌加内の人々はソバ打ちと獅子舞をやった。はるばると日本からの出店に、集まった人々は勿論大喜びであったが、「二八そば」よりもソバ粉百パーセントの「生そば」に人気が集中していた。

最近、日本国内ではソバ粉百パーセントで打つ「生そば」が人気上昇中だから、フィンランドでもそうなのかとお感じになるだろうか。彼らもコムギ粉の入らない食感を好むのだろうと。 いや、違う。コムギ粉のグルテンが問題なのである。と書けば、例のセリアック病のことかと気づかれるかも知れない。
それについては後で記させて頂こう。デパートの食品売り場ではグルテンフリーのコーナーがあり、アメリカから輸入したソバのカーシャを何種類も売っていた。

フィンランド国内でのソバ栽培もごく最近になって注目されはじめている。古くはロシアとの国境近いカレリア地方で栽培されていたが、一九四四年のフィンランド・ロシア紛争で、ソバ栽培の盛んであった東半分がロシアに所属するようになってから、フィンランド国内では栽培されなくなっていたそうである。

ところで、ヨーロッパでは栽培されるムギ類は、コムギ地帯から北へ向かってライムギ、オート、オオムギ地帯へと移行する。コムギとライムギは果皮がはがれ易くて粉になり易いから粉食になり、はがれにくいオオムギとオートは粒状で食べるのが伝統的である。ソバはそれらのムギ類より後から導入された作物で、粉食はコムギ、ライムギ地帯に、粒食はオオムギ、オートムギ地帯に分布していると言えるだろう。

ヨーロッパのソバの生産量は二十世紀後半には急激に減少してしまった。その理由は勿論ヨーロッパ農業の近代化の結果だろう。ソバはコムギをはじめとした生産性の高い穀類に及びもつかないからである。ところが最近になってヨーロッパでも若干生産量が増えてきており、また輸入も増加してきている。その理由は日本と同じように飽食の中での健康食、機能性食品としての認識、さらには食の懐古趣味もあるようだ。しかし、それだけではないことは、先にフィンランドの例で示した通りである。そして、これは日本には見られない現象である。もう少し詳しく述べたい。

セリアック病は小児期、ことに離乳食の穀物によって激しく発症し、多くの死をもたらす。腸で栄養分を吸収するための絨毛をすり減らし、栄養を吸収する機能を失わせるから、下痢、脂肪便、体重減少、全身衰弱を引き起こすものである。しかもこれは遺伝的な病気で、一時的に快方に向かっても、一生付き合わなければならず、大人になっても新たに発症する可能性ある厄介な病気である。

セリアルは穀物の意味ではあるが、この場合の穀物はムギ類である。コムギの害が最も大きく、ライムギ、オオムギ、オートと続く。グルテンはパンを作る場合の展性と粘性に必要で、膨らみ方に関係するから、パンになりやすいもの、つまりグルテン含量の多いものほど害が大きい。横道にそれるが、日本で上質とされるコムギ粉は、グルテン含量の多いものを指し、農水省の研究機関でも育種目標の第一はグルテン含量である。

パンをはじめとして、パン粉をまぶした食品、クリームソース等の料理に使うコムギ粉は勿論であるが、コムギ粉はソーセージ類の点着剤、薬の増量剤や各種の健康食品のタブレット、さらには缶ジュースの中にも含まれている。こうした多様な用途の開発はコムギの栄光ある歴史といえるような気もするが、セリアック病からすれば、少量のコムギも摂取できないのだから、日常生活が危険に満ちていて、特殊の食堂以外での外食はできないとされている。

セリアック病で食べられる穀物にはトウモロコシ、コメ、ソバ、キノアなどがあるが、それらの多くはヨーロッパ、ことに北欧では栽培出来ない作物で、伝統的な食文化の成立していないものが多い。そのためにソバへの注目が集まる結果になるのだろう。もっとも、ソバもダメと記されている場合も散見される。ソバにはグルテンは含まれてはいない。最初、私には何故なのか解らなかった。やっと見つけたその理由は、ムギ類の混入の危険にあるとのことであった。製粉機に残るコムギ粉の混入、畑で雑草として混じってしまう麦類などが問題なのである。ことに輸入の場合は危険だとしている。

オートもセリアック病を引き起こす。しかし、グルテン含量はコムギやライムギに比べてはるかに低い。オオムギも同じことが言えるだろう。そのオートとオオムギの伝統的には粒食の地域で、セリアック病のサポートセンターが多い。何故なのだろう? セリアック病の研究論文の中に、数年前にはこのことを考える論文がかなり見られた。民族の狩猟や農耕の歴史と病気の関係のような、若干漠とした話である。しかし、病気のメカニズムに関する最近の輝かしい研究の発展は、それらを影に押しのけてしまったようにも感じられる。私自身は栽培生態学が専門であるから、数少ない種類の作物や品種の地域広大は、栽培作物の生産性や気象条件に対する安定性の面からは何時も大いに心配する。しかし、それが人間の病気にどうかかわるのかは、どうも筋道がよく解らない。とはいえ、生産や加工の効率だけで、栽培作物や飼育動物を均一化する危険を痛感する。

ヨーロッパやアメリカ以外でも、パンを食べる国々ではセリアック病の問題は重要らしく、南半球のオーストラリア、ニュージーランド、ブラジル、アルゼンチンなどにもあって、それらから日本のソバの食べ方を教えて欲しいとメールが来る。しかし、日本の誇る「生そば」をその人達が打てるだろうかと、戸惑ってしまう。パンを作るための製粉器具は麺のばあいより荒い。幌加内町の人が、フィンランドのソバでは打てないから、もっと細かく挽くようにと現地の人に教えていた。その優しい姿に心打たれて眺めながら、私は「ここは細さや香りに目の色を変えている今の日本ではない」と言いたくて、うづうづしていた。

ヨーロッパで広く言われる言葉「白の三悪」は、オートの国にも大きな影を投げかけていると、改めて感じた次第でした。

あれから5年、セリアック病のための食事の研究も大きく進歩したようですから、ソバに頼ることは少なくなったでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿