昨日Twitterで、「自分は何か興味の持てないことがあるだろうか」と言うようなことをつぶやいていた人がありました。「何か」と考えて、そこに名前が出てくるのは、何らかの興味があるからなのですよね。楽しくなっちゃいました。
でも、「好き」とか「嫌い」は、どうやら自分の中で区別するような気がします。それも、「その時点」でのと、限った場合かもしれませんが・・・・
理屈っぽい話から始めまして、申し訳ございません。でも、出来る限り、「私はこんなものの見方をするクセがあるようです」と、前置きしておきたいと思えます。
「蕎麦」の話になると、蕎麦は美味しいとか、不味いとかに始まり、打ち方の方法からそれが持つ歴史や哲学に至るまで、長い長いお話がついて回るのをご存知でしょう。例えば蕎麦屋の主に説教されるとか、一緒に食べている人の薀蓄を聞く時が少なくないでしょう。
簡単に言ってしまえば、私は「腹が空いたら何でも旨い」と。でも、それに対して「旨いものは旨いのだ」と主張なさる方も多いと思います。
その極端な例が、食味計。ご飯の美味しさを、コメの化学成分で示そうと始まったものです。開発された当時、何が問題になったかをお話すればきりがありませんので、いつかまたの機会に。
いずれにしても、私は「腹が減ったら何でも旨い」の立場から見ていると、一応ここで宣言(笑)致します。
上の私の立場論も、何やら矛盾があるようにも思えるのですが、
とにかく、「蕎麦」でも「そば」でも「ソバ」でも
その立場で見ていくつもりです。
「その立場って、なんじゃ。 まるでワカランではないか!」
「うーん、ごめんなさい。少しづつ、ゆっくり説明させて下さい」
ね、お願い!!
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