2011年7月17日日曜日

ソバ大全は可能かも(★)

2002年の丁度今頃、真夏のさかりに「そば学大全」のあとがきを書いておりました。それからもう9年も経ちました。その間の日々に何をやってきたのか、今日のタイトルを何故このようにしたのかは、あとで述べさせていただくことに致しまして、あらためて読み直してみたいと思います。
どうかお付き合いくださいませ。

「あとがき」(そば学大全)
 最初に「そば学大全」などと大仰な書名に首をかしげながらもお読みいただいた方々に感謝申し上げます。この書名に私自身も首を傾げ、戸惑っておりますし、口の悪い友人達は「年をとったら恥ずかしげも無くこんな名前をつけるのか」と笑うでしょう。でもそれなりの意図と希望がございますのでそれについては後に述べさせていただきます。
お読みいただきました今、「SOBA」という響きに、麺のそば以外のいろいろなソバ料理があたまをよぎるようにおなり頂けましたでしょうか。畑のソバを見たいと思いながら、そばを召し上がって頂けましたでしょうか。
つるつると啜りこむ日本の麺のそばだけではなく、世界の色々なソバ料理、調理材料として、さらに農地に栽培されている植物のソバの全てを含むものとして、「ソバ」という言葉に市民権をお与え頂けますでしょうか。私はそれを願ってこの本を書きました。日本人がもっと美味しいそばを食べられるようになるためにもそれが不可欠だと考えているのです。
それにしても日本の「そば」についての記載が少ないことを意外に感じられたのではないでしょうか。たしかに私自身もそう思います。一見難しいようでも粉と水と適当なボールと包丁があれば、「そば」は誰にでも打てるものです。けれど私はそれを書きたいとは思いませんでした。
本当の老舗のそば屋の主は毎朝「そばの顔を見て打つ」そうです。これは多分、手と目と舌とあらゆる感覚を使って、つまり全身でそばにふれあい、ソバ粉と語り合いながら打つとの意味ででしょう。そうすることで生産地の状況、収穫方法、収穫後の保存方法、粉なの挽け方などなどがソバ粉の顔に現れてくるとの意味らしいのです。
もう今の日本でこうして老舗の主を喜ばせるソバを供給することは出来なくなってしまっております。仕入れた玄ソバを大切に保存しても、輸入ソバは勿論、国内産を石臼で挽いても、その玄ソバが転換畑のソバならその老舗の主を喜ばせられる顔をしていないでしょう。
その職人気質を私に理解できるとも思えなくて、前に立つのが怖いと感じられてしまいます。けれどソバに市民権を持たせることで、その職人さん達の喜ぶソバを取り戻したいと考えていると申せば、少しはわかってもらえるだろうかとも考えるのです。
大全の前に「学」と入れましたのは、科学の言葉は物事の一つの側面を示すもので、職人気質の生に育てたものを語り得ないとの意味合いなのです。
では「大全」なのですが、辞書によれば「大全」とは十分に完備していること。ある事柄について、もれなく記されている書物となっております。それなのに、まだまだ未完の図書に「大全」とつけたことに理由がないわけではありません。
最近「大全」とついた本が時々みうけられて驚くことがあります。不思議に思い、あちこちの図書館の検索や全国の大学の図書情報を提供している学術情報センターで検索してみますと、「大全」と名のついた本の本の出版年にはちょっとした傾向があって、1900年の前後10年と2000年世紀の終りかはじめ→その理由として考えられること世紀の中間に出ている「大全」まさにその名前にふさわしい書物らしのです。
ソバに関してこの本のように多面的な角度で書いた本は日本にはありませんし、世界的にも存在しておりません。その意味からも、今ソバが一つの曲がり角にあるという意味からも、「大全」とつけるのもいいかも知れないと感じた次第です。
編集の土居さんには大変お世話になりました。
土居さんの学生時代の専攻は私とおなじ作物学でケナフの研究をしていた方と知りました。作物学の研究対象は表面的には色々の栽培作物をどうすれば栽培がうまくできるかとか利用しやすいとかの話なのですが、それらはとりlもなおさず自然と人間のかかわりに関する多様な側面を持っているわけで、若い日々に自然や社会について色々のことを考えながら実験を考えてしまうような日々を過ごすわけです。遠く離れていてこの本を編集していただくまでまるで存じ上げなかった土居さんに、3ヶ月程度で完成できますとお約束しながらもいつまでもモタモタ考えつづけていた私を許してくださったのは、学生の簡単そうな…との…かもしれないと思えます。ありがとうございました。
大全の未来
本物の大全は世紀の半ばに出版されるものだと書きました。これからまだ30年以上 ソバはソバだけの問題ではありません。おなじ畑に植えられるほかの作物との関係も、土の問題も、勿論花粉を運んでくれる虫達、その虫達のねぐらになる植物達・・そして人間の社会のありかたに係わる話です。
この本をお読み頂いて、ソバの市民権に関心をお持ち頂いた方々とともに、いつの日か本物の「ソバ学大全」が書ける日のために歩きつづけたいと考えております。

  (多分要訂正  誤字脱字)

2011年7月12日火曜日

クラウドハックのご本家様

今日は凄かったんですよ。クラウドハックのご本家、小山龍介さんが、「偉そうなことを言ってるけれど、本当はわかっていない(笑)」と、自分の事をつぶやいているのを見つけました。
 確か未だ書いていないと思いますので、一寸だけ説明させて頂きます。
 2月の確か2日に、映画「ソーシャルネットワーク」を、名古屋もミッドランドシアターへ見に行きました。その帰りに立ち寄った本屋に「クラウドハック 小山龍介」が平置きで売っているのをみて、何気なく買いました。目次だけパラパラと見て。後で著者紹介を見ましたら、何と、京大哲学科美術卒ですって。その後でまた、生年が1975年。孫みたいなものですよね。
 孫が可愛いから応援する気になったのだろうとおしやいますか?まさかねー。気に入ったのは、京大の美術なんです。何となく、迷いを隠し持ていそうなところが気に入ったとでも。上手い説明ではないけれど・・・・・・
 
 で、今日のつぶやきの話に戻りまして、「この言い方いいね。暑さがすかーっと飛んでいく気分」と、書いたんです。思いもかけずすぐ返信が来て。「寒い発言を続けています」だってサ。 で、ただ今私は思案中。標準語では馬鹿みたいになんでもない表現なのでしょうが、京都とか、関西の会話なら、随分しゃれた言い回しなのですからネ。

 うーん、何としょうぞ?

2011年7月11日月曜日

鍋の歴史とソバ料理(★)

今日もまた思いつきで、感想のようなものですが・・・


Facebookへの投稿に、ミャンマーのヤンゴンでたこやきを食べた写真の投稿があり、ふと、オランダにたこやき風の鍋があることを思い出しました。それでソバを焼くのです。何やら不意に、ヨーロッパと日本の鋳物鍋の歴史が知りたくなりましって、Twitterに問い合わせ、親切な方が、リツイートして下さって、現在質問は駆け巡り中。
きっかけは何気ない冗談のような話なのですが、ヨーロッパの鍋の系譜を知りたいと思っていたのは以前からなのです。
ヨーロッパにはソバ料理の伝統的な2つの流れがあるとは、以前にも書きました。一つは粉にして、もう一つは粒のままのカーシャ料理です。粉はパンとかパンケーキで、オーブンと鉄板由来の料理(何だか、いい加減な素人っぽい表現ですが)。カーシャは水を加えて煮る段階を含むもの。そうそう、粉にはスープ系がありますから、こちらの鍋はいわゆる鍋Vessrlですよね。
ソバがヨーロッパへ伝播して、大量に食べられるようになったのは、14世紀頃からですから、それほど古い時代を考える必要はなさそうですが、時として考えてしまう事があります。伝播した作物や料理方法が定着するかどうかは、それまでの歴史、それを作り上げた風土に依存するのでしょうから、当然といえば当然の話です。以前オーブンの歴史を調べかけたことがあるのですが、納得するには至りませんでした。やっぱり実感に欠けるとでも言うのでしょうか。そうかなーと、感じる程度でした。
国王や貴族の歴史が主だった今までの歴史感覚のようなものが、食べるとか作るとかの、極めて庶民的な事柄の歴史認識を阻害している・・・この言い方の何と不明確な!単語が並んでいるだけ・・・その内に反省→訂正致します。


追記 7月12日
 オランダのソバは北欧のソバでも一寸違う。
 かなり早く導入されたらしいことと、海から入ってきたような感じ(正に感じ)。
多分、オランダの貿易立国ーと言うのかなー
 もう一度調べてみましょう。資料が手に入るか、いや、残っているのかどうかも解らないが・・・
 

2011年7月10日日曜日

伝統の味?(★)

昨日の「お日様」で、県のお偉いさんに振舞うためにと、精魂傾けてそばを打つシーンが出てました。たしかに、そばは生き物と言い伝えられ、顔を見て打つとも、言われています。でも、根っから庶民の私は「お偉いさん」にひっかってしまいました。勿論、ソバ粉の十分無かった時代ですから、お偉いさんは単に打つチャンスだったに違いありません。だから、現代のそばの見方に残る・・・何と言えば良いのでしょうかしら、「将軍の召し上がった」風の言い方であらわされる、カッコいい食べ物には、どうも承服しかねると言えばよいのでしょか。
 ソバ料理は多種多様で、麺のそば、「そば」は、その一種にしか過ぎません。一番手の込んだもの。手の空いた時、あるいは来客時とか節季とかの特別な時に限られた、よそいきの食べ方です。だったら現在「そば」は、ソバ粉を、一番大切にした料理方法で使っているのだから、文句を言う筋合いは無いではないかと、お叱りを受けそうです。でもねーと言うか、だからこそと言うべきか、私は承服出来ないのです。

雑文を書き殴ることで、ますます自分の感性が鈍るような、それでいて、書き続けることで、少しでもソバの言いたいことに近づけるような。どちらとも解りません。
 とりあえず、やり続けようとしているのでしょうね。人間を支えてくれたソバへの感謝を、何かの形で残すことが出来るだろうと。
 そして、「日本」海外の人々に与えることになってしまった日々への、謝罪とでも言うのでしょうか。それが、単なる感傷では無い形で、表現できるかもしれないとも。 

2011年7月7日木曜日

美味しさを決めるもの(★)

タイトルは後でつけることにして、とに角はじめます。
先程、大笑いして、感激(?)のさめやらぬうちに。
笑ったのは、さる多角経営の社員で、タイでカレー屋を営む人のブログ。笑った内容は、彼が「失恋の痛みの回復方法を教えます」に至る自身の経験を語る手口の、名文と迷文の間。これ自身は、ここに関係が無いので、省かせて頂こう(何たる肩すかし!)。

興味をもってFacebookのお友達申請を送ったのは、タイで日本人がカレー店を営むとは・・・。
最近TVでも時々問題になっている通り、電子部品系統の海外での行き詰まりを打開する一策として、食品系統への期待が高まっている。殊に、アジアの新興国を対象にしたレストランのチェーン店は、私には興味深い・中でも、カレーの国タイで、日本のカレーで勝負を仕掛けている話です。

私は、海外で日本料理を美味しいと思ったことがないので、長期的には成功しそうにないと思えてしまうのです。ゴメンナサイ 出鼻をくじくようなことを申しまして。しかも、海外の滞在期間が長くない人間の言うことです。
ただ、日本でフランス料理を食べても、上等でも、極普通の庶民風でも、フランスの味はしない。その他のどの国の料理も同様です。
例外は中国料理で、どこの国でも一応中国料理風の美味しさを保っている。それはなんじゃろか?
これに対する答えを言ってしまえば、あまりにも簡単で、ウソッポイのですが、世界中に広がった華僑の人々が、(華僑の大群がと言い換えたほうが良い)中国を料理を支えているとでも。中国人が大勢して、中国料理を持ち運んでいるような。空気とか、雰囲気みたいなものを含めて、料理を持ち運ぶ。
だから、どれ程修行を積んでも、一人のシェフでは料理の味は持ち運べないとでも言いたいのでしょうね、私は。

日本の蕎麦は健康食として、欧米でも盛んになりつつあると、よく言われますが、それほど簡単には定着しないだろうと感じてしまうのです。もっともっと多くの日本人が海外へ出て行くことと一緒でなければ、長続きはしないだろうと。

まだまだ未整理で、たとえブログでも公開は出来ない気分ですが、それを気にして何となろう。まー良いや エイヤー

2011年7月5日火曜日

梅雨明けが来たら(★)

前回の硬いパンとソフトなパンの投稿は、書きかけでダウン。


続けようかしらと思いいながら、迷っています。年が年中迷っているんだねと笑われそうですが、全くその通り。



何せ、今年は梅雨がとんでもなく早かったから、そろそろ梅雨明けになるのではないかと。そうなんですよ。ムカシはソバの播種期は、地域によって決まっており、それから20日ばかり後の開花の時期にがグッと冷え込みしかも雨の降らない時期にあたるようにとの計算で決めてきたのです。雨が降ると、花粉を運んでくれるミツバチの働きが出来なくなるし、熱すぎるとめしべの生長がしっかりしなくて、花粉が受け取れないからです。


ところが、いまでは、実を収穫して蕎麦にする昔かrの栽培は勿論続いていますが、他にもいろいろの目的で栽培されています。


ソバ畑のロマンチックなのは、「お日様」でも、十分お感じになりますでしょう。あれを、もっと早い季節、梅雨前にとか、梅雨が明けたらすぐにとか、いろいろの時期に花が咲くように撒くのです。ソバは短い日の長さに反応して、葉芽が花芽に変わるのですが、それが一つの固体でも、畑全部でも、揃いが良いほうが実の収量は大きくなる。日の長さが長いときは、だらだらと咲く。美しくて、花の多いのは、実は実の良く取れる時期より、葉と花の入り乱れた時期で、実の良く取れる時期ではないのです。


こんな話は、また別にとっておきましょう。

2011年7月3日日曜日

ソフトなパンと硬いパン(★)

昨日の朝のTVニュースで、パンが値上がりしたと言っていた。何を今更と、いささか呆れたが、コムギ粉を減らして、ソフトにし、見た目だけは整える方法が限界に来たということだろうと、理解することにしました。
 だって、軽くて可愛いパンの種類ばかり増えて来ていたのですものね。同じ銘柄でも、随分軽くソフトになって来て、最後はどんなパンを作るのかと、何だか心配になり始めておりました。
 日本のパンはマシュマロのよう。

私が始めて硬いパンに出会ったのは、1980年の丁度今頃、ノールウェーのナルビックからオスロへの夜行列車の朝食でした。オープンサンドで、カレー皿の上に、レタスを敷いて、サーモン、キャビア、オリーブ、トマトなどどっさり載せた、そのお皿が硬いパンとでも言えば良いのでしょうか。本当は、上に載っていたものが何だったのかは覚えていません。ただもうびっくりして、これが私の今日の朝食なのかと、無性に惨めになったことだけは覚えているのです、そして、結構高かったことも。別々にすれば、決して高くはない、かなり豪華な朝食なのですが、何せ、ともかく、どうして口に入れれば良いかがまるで解らない。かじりつくにも、かじりつき始める角がない。他の人のやり方を真似しようにも、大柄の北欧男性の胸の辺りしか見えない。その場をどうやり過ごしたか、記憶にありません。
何時ごろから、硬いパンを好きになり始めたのかは、よく解らないのですが、何時のほどにか、硬いパンが好きになり、出切ればオープンサンドをと、探して回るようになっていました。
同じように硬いパンでも、フランスのバケットは一寸違いますよね、あれは皮の部分が硬く、中がやわらかい。北欧のオープンサンドのパンは、外と中の差は殆どなくて、全体にしっかり硬い。随分下手な表現ですが、バケットが中まで皮と同じだったら食べられませんよね。
北欧のオープンサンドと、ドイツ系のかなり硬いパン、フランスパンはコムギの殆ど栽培できない土地、ライ麦の地帯、コムギの十分取れるところのパンと、ここでは大雑把に分けておきましょう。

ここまでパンの固さのことを話していて、なぜタイトルに(★)が付いているのか? (★)はソバの話のはずなのにと、怪訝にお思いになりますでしょう。
実は、ソバの栽培地域はコムギの出来ない寒い土地だということで、大いに関係があるのです。

小休憩にしょうかな、それとも続きは明日になるかしら?