2011年9月10日土曜日

スーパーマーケットのKasza(★)

やっとクラコフでカーシャを食べられた。
でも、あれはポーランドの伝統料理の一つとされているクラコフカーシャではない。クラコフからワルシャワへ遷都した後に、アン女王がクラコフを懐かしがって作らせた女王様のカーシャではない。

 余談になるが、アン女王とアン王妃が同一人物なのか別人なのかが分からなくて困っていたことがある。年代から全く同一人物に違いないのだが、両方の表現があるのが納得できなかったわけだ。王様を婿にとっても、相続した王位は保つ。日本人には一寸分かりにくい制度。しかしこれが納得できて、ヨーロッパの戦争のやりかたがわかったような気がした。男性の王が右側から、女性の王が左側面から攻撃をかける強さのようなもの。領土拡大とソバの関係は・・・直接関係があるわけではないが、それが分からないと、どうもヨーロッパが分からない。
 もっとも、ここに話し始めたソバの好きなアン女王は、きわめて貞淑な王妃様だったとか。

 「カーシャ」と呼ばれるものをそれまで何度も食べてきたが、相も変わらずしっくりしない。ブラブラとクラコフ城外の町を歩きながらスーパーマーケットへ入ってみた。あった、あった!棚にカーシャがずらりと並んでいた。勿論一番先に目に付いたのはソバのカーシャ

 しかし、棚にはオオムギのカーシャも、オートも、豆類、トウモロコシ、勿論コメと、さまざまなカーシャ並んでいた。
 穀類や豆類の殻を取り除いた実をカーシャと呼ぶのだとは、知識では知っていても、なかなか実感がわかない。
 ソバだけでも、重湯ののようなものから、ピラフもケーキも何でもかでも含めて、カーシャと呼ぶ。つまり粉どは違うんだと。

 そこで、「日本はライスカーシャの国なのだ」と結論できて、何やらほっとしたような。
 以前1982年にワルシャワを始めて訪れた時、街を歩き疲れて、超空腹になり、立ち食いの店に寄って「あー、お腹が空いた。ワンワン」といったら、日本人かとたずねて、どんぶり一杯の白米粥を出してくれた。
 銀シャリも、お粥も、雑炊も、小豆粥も七草粥も・・・全部ライスカーシャなんだ。

 そのスーパーでの心残りは、各種のカーシャの写真を撮り忘れたこと。
坊やをからかうのに夢中になってしまって、本業(?)は忘却。


とにかく、ポーランドの子供たちは可愛くて、面白い。










クラコフの散歩はまた後日に致しましょ

2011年9月9日金曜日

気分転換にGRIKA Kaszaの国ポーランドへ(★)

何とまー気まぐれな。
しかし、粉料理ももちろんわからないが、カーシャと言うのが一向に実感を伴わない。ヨーロッパのソバに興味を持って以来、ずーっとカーシャが気にかかって仕方がない。
プラハとクラコフは一寸散歩の距離である。まーいいか。

 空に舞う鳩の群れを見ると、おおポーランドだと感じないではいられない。

世界貿易センター前の広場

この人の集まり方も、お隣のプラハとは一味もふた味も違う


鳩の群れを眺め、鳩と遊ぶ子供たちを見て、満足し、ホテルでカーシャを味わうことにした。

実はそれがなかなか通じない。フロントまで出かけて交渉した。もちろん私のイヌ語のせいも大きいが、ホテルには色々のポーランド料理があるのに、何故単純にソバのカーシャを
注文するのか理解できないと言うわけだ。確かに、道路に並ぶ小さな食堂でも、「今日のお勧めはカーシャ」と読める看板がそこ此処に立ててあった。
「でもねー」とか何とか言ってわざわざ作ってもらったのが、この一皿である・

ソバのカーシャのトマトソース和えのような雰囲気と言えば良いのだろうか。
可能な限りシンプルなのか食べたいと言った結果だろう。



この請求書のおき方に、私は甚く感動して、満足した。







労働者の集まる食堂が、その土地らしく美味しい、最もリーゾナブルな食事を提供していると、私はまるで信仰に近い感じ方をしている。勿論とんでもなく汚かったり、不味かったりの経験も多々。それでもこの信仰は変わらない。
ただ、ジロジロ見られながら入っていくのには、かなりの体力と気力が要る。
クラコフでそれをやれなかったのは、残念至極と言う以外にはない。

次の機会を作ろう。

ところで、カーシャについて何がわかったのか?
私はまだ、ほとんどわからない。

日本でもソバ米と称して、剥き実のソバを売っているが、カーシャとは呼ばない。おしゃれな呼び名の好きないまどきの日本でも。  当たり前だよなー

また明日 

2011年9月7日水曜日

プラハ POHANKA Strudel とKaše z pohanky (★)

何語でタイトルを入れているつもり?
いえね、正式の文章でもなし、自分の奇妙な思い入れをつづり残しておりまして。


2004年にプラハで開催されて国際ソバ研究者連合のシンポジウムのバンケット。もう2年も前に書いた「モラビアのソバ」の続きである。プラハの後は2007には中国の西安で、昨年夏はロシアのアリヨールで開催されたのだから、私のソバ日記のなんと言うのろさなのかと、われながら驚いている。

3年後とのシンポでは、各国それぞれ趣向を凝らせて、ソバ料理のお国自慢を披露する。第9回を引き受けたチェコは、その年の春からEU参加したのだが、EU後発国の国々がソバの栽培にどれほどの期待を寄せていたかは、日を改めて書きたい。その後の10年足らずの間に、世界のソバ事情が激変し、彼らがどんな影響を受けたかも。その間、日本人は美味しいとかまずいとか、ソバ畑が綺麗だとか言って過ごしたことが、世界にどんな痛手を与えていたかも。

とりあえず、美味しそうなソバ料理の紹介を!

テーブルの上はすべてソバの料理 チェコの自慢を見てねーと並べている。


右のStrudel は中に牛肉の薄切り
次は野菜巻きとでも呼ぼうか











レーズン入り


Strudelは18世紀にハプスブルグ帝國の定番料理となったそうだから、
モーツアルトも食べたのかもしれない


(ヤバイヤバイ 入力配置がおかしくなって、文字も写真も逃走中)

テーブルの上にあった料理のもう一つのタイプはカーシャ達



他にもサラダの類やパスタ類があるが、いずれもソバを製粉してから料理するものだから、一応粉系としておこう。

プラハで食べたチェコのソバ料理は、多分もてなし風の料理だろうと気にかかり、最近になって、モラビアの製粉業者が書いたレシピを調べてみた。農村とか家庭料理が知りたかったからである。そして、チェコでは粉系と粒のままのカーシャ系のどちらが多いかに興味があったから。150種類以上のソバのレシピが載っている。粉と粒が3対Ⅰ程度である。

「そうかなー」と、ここでは一応納得しておこう。
チェコはスラブ人の国である。しかし、ドイツに首だけ出したような位置にあり、歴史的にオーストリアの影響が多大だし・・・・・
そうそう、Strudelはトルコからボスニア、クロアチアを経て来たものとも言われる。
大体、POHANKAという言葉も、何やら南がかっているではないか・・?

と、ホントかウソかわからない話で今日は終わろう。